研究

5Gの基礎技術開発と国際標準化に貢献 ~自動運転の実用化を加速~ — 阪口啓

顔 東工大の研究者たち vol.39

5Gの基礎技術開発と国際標準化に貢献 ~自動運転の実用化を加速~ ― 阪口啓

vol. 39

工学院 電気電子系 教授
超スマート社会卓越教育院 教育院長

阪口啓(Kei Sakaguchi)

2020年から商用サービスが本格開始された新たな無線通信規格「5G(第5世代移動通信システム)」。5Gの基礎となる技術を提案し、国際標準化に取り組んだのが、工学院 電気電子系 教授および超スマート社会卓越教育院長を務める阪口啓だ。阪口は、5Gによる「超スマート社会」の実現を目指している。

携帯端末の通信データ量が年率2倍で増加
新しい周波数と通信規格の導入へ

阪口啓教授

アップルのiPhoneが発売され、スマートフォン(スマホ)時代が幕を開けたのは、2007年1月のこと。次いで、YouTubeやインスタグラムなどSNSが普及し始め、皆がスマホなどの携帯端末を使って、大容量のデータを頻繁にダウンロードしたり、アップロードしたりするようになった。その結果、2010年頃には、基地局を介して携帯端末が通信するデータ量(トラフィック量)は、年率約2倍で急増していった。

「この状況が続けば、10年後には、約1,000倍になることが、容易に予想できました。この事態に対処するには、新しい周波数と通信規格の導入にすぐに取り組む必要があると考えました」。阪口は5Gの研究を始めたきっかけをこう振り返る。そして、阪口が、新たな周波数の電波として提案したのが、「ミリ波」を使うことだった。

高速通信と接続性のトレードオフを解く

2010年といえば、現在、主流となっている第4世代の「4G」の商用サービスが開始された年だ。

4Gには、主に2GHz近辺の周波数が使われている。それに対し、周波数を上げてより広い帯域幅を使うことで、さらなる高速・大容量通信が可能となる。したがって、2GHzよりも周波数が高いミリ波帯を使えば、高速・大容量を実現できることは、誰もが考えることだった。しかし、これ以上周波数を上げることは、簡単なことではない。なぜなら、周波数の高さと、電波が届く距離すなわち接続性はトレードオフの関係にあり、周波数をこれ以上高くすると、電波が届かず、通信が切れやすくなるからだ。そのため、4Gでは、高速・大容量よりも通信が切れない接続性の方を重視して、低い周波数を使っていたのだ。

「とはいえ、低い周波数を使い続けることには限界がありました。そこで、私は、電波に関するトレードオフの関係を打開するためのアイデアを模索しました。そして、2012年のある日のこと、突然、『両方、使えばよいではないか』と思い付いたのです」(阪口)

"両方"とは、接続性が重要となる制御信号には低い周波数を使い、高速・大容量性が重要となるデータ信号にはミリ波などの高い周波数を使って伝送するということだ。これにより、接続性と高速・大容量通信を両立できると阪口は確信した。

実は日本では、ミリ波を使った通信システムの研究開発が、国を挙げて進められていた時期があった。しかし、研究開発は困難を極め、実用化の目途が立たないままに、2008年にリーマンショックに直面。プロジェクトに参画していた研究機関の多くが撤退を迫られた。「このままでは、せっかく長年培ったミリ波の研究が無駄になってしまう。今度こそ、ミリ波を実用化したいという思いもありました」(阪口)

電波の周波数帯毎の主な用途

※総務省電波利用ホームページ「周波数帯ごとの主な用途と電波の特徴」の図を元に加工

電波の周波数帯毎の主な用途

「ミリ波」を使った5Gが国際標準に

「2012年当時、10年後にはトラフィック量が約1,000倍になることに危機感を抱いている移動体通信事業者はたくさんありましたが、4Gを開始したばかりということもあり、4Gの性能を改善することに注力が注がれ、5Gの開発にはまだ本腰を入れてなかったのです。そこで、私はミリ波を開拓することで移動体通信システムが収容可能な総トラフィック量をどれくらい増やすことが出来るかを計算して、具体的に示すことで、ミリ波を使った5Gの必要性を明確にしたのです」(阪口)

このような中、2013年9月に、2020年の東京五輪の開催が決まった。東京五輪は5Gにより実現される新たなアプリケーションをアピールする絶好の機会であるため、同年冬、「2020年を5G元年とする」という目標が設定された。

加えて、阪口のアイデアに半導体メーカーの米インテルなどが強い関心を示した。そして、移動体通信には国際標準化が不可欠なことから、インテルなどの後押しにより、2014年、阪口はミリ波による5Gの国際標準化に向けた働きかけを開始。その結果、2015年、ITU-R(国際電気通信連合 無線通信部門)においてミリ波を活用する5Gの扉を開く新レポートの発行に漕ぎ着けたわけである。

その後、阪口のアイデアを実現するため、カバレッジが小さいミリ波の基地局を多数、マイクロ波の基地局カバレッジに重ね合わせる手法が、研究開発された。この手法を、「ヘテロジニアスネットワーク」と呼ぶ。それにより、4Gに比べて約100倍の超高速・大容量、約10分の1の低遅延、約100倍の同時多数接続が実現された。

カバレッジが小さいミリ波の基地局を多数、マイクロ波の基地局カバレッジに重ね合わせる「ヘテロジニアスネットワーク」。接続性が重要となる制御信号にはマイクロ波を使い、高速・大容量性が重要となるデータ信号にはミリ波を用いて伝送することで、接続性と高速・大容量を両立させた。

カバレッジが小さいミリ波の基地局を多数、マイクロ波の基地局カバレッジに重ね合わせる「ヘテロジニアスネットワーク」。接続性が重要となる制御信号にはマイクロ波を使い、高速・大容量性が重要となるデータ信号にはミリ波を用いて伝送することで、接続性と高速・大容量を両立させた。

この成果を受け、2019年4月には総務省が国内の4つの移動体通信事業者に対し5Gの周波数を割り当て、翌2020年春、5Gの商用サービスが本格開始されたというわけだ。

また、総務省はローカル5Gという名称で、スタジアムや工場、学校などのプライベート空間で使用する5G向けにもミリ波を割り当てた。これにより、今後5Gの普及が一気に加速していくものと見込まれる。

自動運転の実現には5Gが不可欠
安全に必要な条件とは?

今後、5Gの普及により、一体どのような社会が実現されていくのだろうか。「2015年にITU-Rにおいてミリ波が5Gの候補として決定したとき、そのキラーアプリケーションとして、私が真っ先に考えたのが、自動運転への適用でした」(阪口)

当時、ドイツにある欧州最大の応用研究機関であるフラウンホーファー研究機構に在籍していた阪口は、5Gを自動運転に適用するプロジェクトを提案し、予算の獲得に成功した。それに伴い、ミリ波5Gを自動運転に活用する無線通信の国際標準化に関するプロジェクトが開始された。

「自動運転への適用に関しては、まず、なぜ自動運転において、超高速・大容量の無線通信が必要かを定量的に示す必要があると考えました」(阪口)。

通常、道路では速度制限があり、十分な車間距離をとることが求められる。それは、安全性を担保するためだ。運転手は、ブレーキを踏んでから停止するまでに走行する距離である「制動距離」以上の距離の物体を、眼から入手する情報により検出する必要がある。これは、大量のデータをより低遅延で入手することで、運転の安全性を高められることを意味している。「これまでデータ量と安全性との相関関係を表す理論がなかったことから、新たに理論を構築しました。世界で初めて、安全性の確保のためにはどの程度のデータ量が必要であるか理論的に明らかにし、自動運転には5Gが不可欠であることを示しました」(阪口)

現在、阪口は、自動運転の実用化に向け、「V2X」の研究に取り組んでいる。V2XとはVehicle-to-everythingの略で、車と車や、車とネットワークなど、車とあらゆるモノとの通信のことだ。V2Xによって近い将来、周囲の自動車、道路に設置された各種機器、歩行者の携帯端末などと自動車が運転手を介さず、勝手に無線通信するようになる。それにより、自動運転の安全性を高めることができる。

自動運転の実用化に向けた「V2X(Vehicle-to-everything)」の研究。車と車、車とネットワークなど、あらゆるモノと通信を行う。

自動運転の実用化に向けた「V2X(Vehicle-to-everything)」の研究。
車と車、車とネットワークなど、あらゆるモノと通信を行う。

「自動運転においては、速度が上がれば上がるほど、データ量を増やす必要があります。そのため、トラクターなど低速で走る車から順番に実用化されていくことになるでしょう。また、制御する対象は他にも、ドローンやロボット、都市、社会などあらゆるものに広げることができます。そのような未来のことを、5Gが拓く『超スマート社会』と呼んでいます」(阪口)

自動運転を実現する構成要素は、自動車に搭載するカメラなどの各種センサー、周囲の地図情報などを収めたデータベース(地図)、センサーのデータと地図情報から運転を行うエッジコンピューティング(MEC:判断サーバー)、複数の自動車から情報を収集しビッグデータを解析する人工知能(AI)、などがある。これらの構成要素の間を、5Gを介してデータを超高速・低遅延に送受信することで、自動車を制御する。人間が運転する場合、人間が制御できるのは自動車のみだが、自動運転の場合、周囲の自動車同士が連携して制御することも可能だ。ここで、制御する対象(アクチュエータ)を自動車以外にドローンやロボット、さらには都市、社会などに広げることで、超スマート社会の実現を目指す。

自動運転を実現する構成要素は、自動車に搭載するカメラなどの各種センサー、周囲の地図情報などを収めたデータベース(地図)、センサーのデータと地図情報から運転を行うエッジコンピューティング(MEC:判断サーバー)、複数の自動車から情報を収集しビッグデータを解析する人工知能(AI)、などがある。
これらの構成要素の間を、5Gを介してデータを超高速・低遅延に送受信することで、自動車を制御する。人間が運転する場合、人間が制御できるのは自動車のみだが、自動運転の場合、周囲の自動車同士が連携して制御することも可能だ。ここで、制御する対象(アクチュエータ)を自動車以外にドローンやロボット、さらには都市、社会などに広げることで、超スマート社会の実現を目指す。

小さなスマホの画面にとらわれる生活は本当に幸せか?

超スマート社会の例としては、自動運転によるスマートモビリティーやスマート農業、複数のロボットが連携してものを作るスマート工場、医療・介護ロボットが活躍するスマート医療などが考えられる。

「5Gにより、無線通信技術に関しては、高周波数の電波を扱えるようになったことで、1つの到達点に達しました。これは今後5G以降においても適用できると考えています。しかしながら、使い方に関しては、まだまだ発展途上だと感じています。たとえば、江戸時代の人が、電車の中などでスマホの画面を見ている現代人を見たら、きっと、『なんて可哀そうなのだ』と思うでしょう。長い人類の歴史において、非常に小さなスマホの画面にとらわれている現在の状況は、決して幸福とはいえません。本来あるべき姿とはどのようなものか、社会をどのように変えていくべきかを考え、創造することが私の研究テーマなのです」(阪口)

その取り組みの一環として、5Gを活用した「AR(複合現実)グラス」がある。

阪口が研究開発に用いている「ARグラス」。メガネのように装着することで、実際に見ている現実世界に、バーチャルな情報を重ね合わせて表示する。
阪口が研究開発に用いている「ARグラス」。メガネのように装着することで、実際に見ている現実世界に、バーチャルな情報を重ね合わせて表示する。

「現在は、スマホの画面上で検索したい情報を入手していますが、いずれそういったことはなくしたい。例えば、東工大に初めて来た人が、キャンパスの入り口に立った瞬間、自動的にARグラスに、東工大のキャンパスマップと訪問先の道順が映し出されるといったことを目指しています」(阪口)

このような情報端末において重要なことは、サービスを支えるプラットフォームだ。そのため、阪口は、現在、安価で、使い勝手のよいサービスを提供できるプラットフォームの構築方法を研究している。

「よく、『効率を10%改善しました』といった話がありますが、私自身は、ちょっとした改善には、興味がありません。社会が究極に困っている問題を、無線通信技術を使ってどう解決するかが関心事であり、常にそれを主眼に置いて研究を進めています。例えば、近年、洪水など自然災害が深刻化しています。それに対しては、家そのものを自動運転車にして、洪水の際には、家ごと勝手に避難してくれるといったことを考えたりしていますね」(阪口)

未来を切り拓く人材の育成にも尽力

そんな阪口が、無線通信の研究者になったきっかけは、高校時代にさかのぼる。「バンドを組んで音楽をやっていたのですが、配線が大変で、すべて無線にできないかと思ったことですね。実際、研究者になって思うことは、研究は、音楽や料理、スポーツ同様に芸術だということ。日頃からコツコツと練習や試行錯誤を重ねることで初めて、素晴らしい成果を出すこと、人を感動させることができます。日頃の地道な努力以外、成功への近道はありません」(阪口)

また、阪口は、2020年4月に東工大に新設された「超スマート社会卓越教育院outer」の教育院長兼コーディネーターとして、超スマート社会をけん引する人材の育成にも尽力している。

超スマート社会卓越教育院「スマートモビリティ教育研究フィールド」では、自動運転車を大学構内で実際に走らせる演習を行うなど、自動運転を実現するための技術を俯瞰的に教育している。

未来を担う若者たちに向け、阪口はエールを送る。「無線通信技術が拓く未来はこれからであり、アイデア次第でやりたい放題、何でもできます。常識や小手先の技術に頼るのではなく、また、周囲に同調するのではなく、自分自身がこれだと信じた考えで未来を切り拓いてほしいと願っています」

阪口啓教授

阪口啓(Kei Sakaguchi)

工学院 電気電子系 教授
超スマート社会卓越教育院 教育院長

  • 1996年名古屋工業大学 工学部 電気情報工学科 卒業
  • 1998年東京工業大学 大学院総合理工学研究科 物理情報工学専攻 修士課程修了
  • 2000年東京工業大学 大学院総合理工学研究科 物理情報工学専攻 博士 中退
  • 2000年東京工業大学 助手
  • 2006年東京工業大学 博士(学術)
  • 2008年東京工業大学 大学院理工学研究科 准教授
  • 2012年大阪大学 大学院工学研究科 准教授
  • 2015年4月東京工業大学 大学院理工学研究科 准教授
  • 2015年8月フラウンホーファー・ハインリッヒ・ヘルツ通信技術研究所 研究主幹
  • 2017年 - 現在東京工業大学 工学院 電気電子系 教授
  • 2018年3月 - 現在株式会社オロ 社外取締役
  • 2019年12月 - 現在東京工業大学 超スマート社会卓越教育院 教育院長

工学院

工学院 ―新たな産業と文明を拓く学問―
2016年4月に発足した工学院について紹介します。

工学院

学院・系及びリベラルアーツ研究教育院outer

SPECIAL TOPICS

スペシャルトピックスでは本学の教育研究の取組や人物、ニュース、イベントなど旬な話題を定期的な読み物としてピックアップしています。SPECIAL TOPICS GALLERY から過去のすべての記事をご覧いただけます。

2020年10月掲載

お問い合わせ先

東京工業大学 総務部 広報課

Email pr@jim.titech.ac.jp