研究

量子の世界をあやつる「量子科学技術」へ

—従来技術の限界を非連続に突破—

量子の世界をあやつる「量子科学技術」へ ―従来技術の限界を非連続に突破―

物理学に革新をもたらした「量子力学」が提唱されて約100年。近年「量子科学技術」という新たな研究領域が生まれつつある。東工大は全学の総力を結集して、最先端の「量子科学技術」の社会実装を強力に推進していく方針を掲げている。量子科学技術とは何か。今なぜ、量子科学技術なのか。推進の中核となる工学院の岩附信行学院長に話を聞いた。併せて、量子科学技術に関する最先端研究のハイライトを紹介する。

「量子科学技術とは何か。今なぜ、量子科学技術なのか。」
岩附信行工学院長インタビュー

―東工大は、「量子科学技術」に注力する方針を打ち出しました。量子科学技術とはどのようなもので、今、なぜ量子科学技術への期待が高まっているのでしょう。

岩附:「量子」とは、粒子と波の性質を合わせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のことです。物質を形作っている原子や、原子を形作っているさらに小さな電子、中性子、陽子といったものが代表選手です。光を粒子として見たときの光子やニュートリノ、クォーク、ミュオンといった素粒子も量子に含まれます。

岩附信行工学院長
岩附信行工学院長outer

量子の世界は、ナノサイズ(1メートルの10億分の1)あるいはそれより小さなミクロの世界です。このような極めて小さな世界では、ニュートン力学※1は通用せず、「量子力学」というとても不思議な法則に従います。量子力学は約100年前に誕生しましたが、物理学のみならず、「物質とは何か」「測定することはいかなることか」など哲学的な面でも大きな影響を与えてきました。

「量子科学技術」とは、量子力学を自然界を理解するためだけでなく、量子のふるまいや影響に関する科学として推進し、積極的に量子の操作を行うことによって、人々の生活の質の向上や社会の発展に役立てようというものです。とりわけ、ミクロな対象を操作する様々な技術が、この10年ほどで急速に進展してきたことが最近の機運の高まりの大きな要因です。

―従来の科学技術と比べ、量子科学技術によってどのようなことが実現できるのでしょうか。

岩附:量子は「粒と波の二重性※2」、「量子重ね合わせ※3」、「量子もつれ※4」といったふるまいをすることがわかっています。粒と波の二重性を活用した技術は、すでに電子回路などで実用化されています。近年、“重ね合わせ”や“もつれ”といった特徴的なふるまいの検証が進み、それら量子のふるまいを活用できる分野が大きく広がってきています。

情報通信、医療、環境、エネルギー等のありとあらゆる分野を横断的に支え、精度・感度・容量・省エネ・セキュリティ等の様々な課題において従来技術の限界を非連続的に解決し、これからの社会・産業インフラの構築に貢献していくと期待されています。

―具体的な応用はどのようなものでしょう。

岩附:文科省の量子科学技術委員会が、4つのカテゴリーで量子科学技術のロードマップを策定しています。その4つとは「量子情報処理」「量子計測・センシング」「極短パルスレーザー」「次世代レーザー加工」です。

1つ目の量子情報処理とは、量子コンピュータと量子シミュレーションです。量子コンピュータが5年から10年で実用化レベルに達した場合、交通渋滞の緩和による環境負荷の低減、工場や倉庫の部品移動の自動化によるコスト削減、高効率な太陽光パネルの製造による再生可能発電の進展など、従来技術で実現できる改良を超え、質・量ともに劇的な変化や改善が期待できます。

2つ目の量子計測・センシングでは、量子センサの開発などを目標としています。例えば、心臓の鼓動による心磁や脳の電気的な活動に伴う脳磁(脳の電気的な活動によって起こる磁場)など微弱な生体磁気を常温かつ非侵襲で計測できるようになります。人間の思考を実時間で測るポータブルなセンサができるかもしれません。また、IoT※5でのビッグデータを取得する際に活用される高感度・小型・省エネルギーのセンサとして、超スマート社会※6を実現する上で不可欠なものとなるでしょう。

3つ目の極短パルスレーザーでは、パルス幅が数十アト秒(アトは10-18)のレーザーが実現することで、電子状態の観測などができるようになり、化学反応や物性の理解につながるため、創薬などへの展開が期待されます。

4つ目の次世代レーザー加工では、ワンストップで最終形状に仕上げることができる高精度・低コストの次世代レーザー加工技術の開発などを目指しており、それにより、製造・流通の革新が期待されます。

これまでの古典的な科学技術手法(シミュレーション、計測、制御)では限界がきており、新たな科学技術手法(量子科学技術)の発展により、電子レベルでの物質の挙動等を明らかにすることで、非連続的な課題解決を図る。これまでの古典的な科学技術手法(シミュレーション、計測、制御)では限界がきており、新たな科学技術手法(量子科学技術)の発展により、電子レベルでの物質の挙動等を明らかにすることで、非連続的な課題解決を図る。

これまでの古典的な科学技術手法(シミュレーション、計測、制御)では限界がきており、新たな科学技術手法(量子科学技術)の発展により、電子レベルでの物質の挙動等を明らかにすることで、非連続的な課題解決を図る。
量子科学技術(光・量子技術)の新たな推進方策 報告書 」(文部科学省)(http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2017/09/12/1394887_2.pdf)を加工して作成

―量子科学技術における東工大の強みを聞かせてください。

岩附信行学院長

岩附:東工大は、量子科学技術を社会に実装し、それにより、新たな価値を創造するという点で、大きな貢献が果たせると考えています。なぜなら、東工大には、量子科学技術の分野において、多くの実績があり、優秀な人材が揃っているからです。

例えば、量子コンピュータとして、2011年にカナダのベンチャー企業が商用化した「量子アニーリングマシン」は、Googleやアメリカ航空宇宙局(NASA)が導入し、世界にインパクトを与えましたが、この基礎理論を1998年に構築したのは、科学技術創成研究院の西森秀稔教授です。また、理学院の腰原伸也教授は「量子ビーム」を活用した新物質の開拓による研究により著名なフンボルト賞を受賞しています。さらに、工学院の波多野睦子教授と岩崎孝之准教授の「固体量子センサ」や理学院の上妻幹旺教授による冷却原子を用いた「量子シミュレーションと量子慣性センサ」も世界最先端の研究です。上妻教授は、JSTが平成29年度に開始した未来社会創造事業 大規模プロジェクト型のPM(プログラムマネージャー)を兼任しています。ほかにも理学院の物理系は、量子力学の基礎研究を推進している研究者を多く擁しています。

そこで、2018年10月22日には、量子科学技術の発展と社会実装を強力に推進し、超スマート社会の実現を目指すために「超スマート社会推進コンソーシアム 」を設立しました。これは、工学院を中心に理学院も融合した全学的なハブ組織で、幅広い分野の企業の方々も巻き込んで量子科学技術の応用を推進していきます。それにより、SDGs※7など人類が直面している課題に対して、画期的な解決策を見出し、超スマート社会、健康長寿社会を実現していきます。

最先端研究ハイライト

量子コンピューティング研究ユニットと東北大との連携

科学技術創成研究院 西森秀稔教授

西森秀稔教授

2011年にカナダのベンチャー企業D-Wave Systemsが、「量子アニーリングマシン」を商用化したことで、一気に世界の関心が高まった量子コンピュータ。この量子アニーリングマシンの理論を1998年に、世界で初めて提唱したのが、科学技術創成研究院の西森秀稔教授である。量子アニーリングマシンは、超スマート社会を実現する上で不可欠な「組み合わせ最適化問題」を解決できる次世代コンピュータとして、世界が大きな期待を寄せている。

組み合わせ最適化問題を理解するための事例、「巡回セールスマン問題」。一人のセールスマンが幾つかの都市を一度ずつ巡回訪問して出発点に戻ってくる際に、移動距離が最短となる経路を求めるというもの。その実用範囲は、例えば陸路や空路など輸送面での最短経路計算や、医療面では画像診断のスピードアップなど、実社会での応用範囲が実に幅広い。

組み合わせ最適化問題を理解するための事例、「巡回セールスマン問題」。一人のセールスマンが幾つかの都市を一度ずつ巡回訪問して出発点に戻ってくる際に、移動距離が最短となる経路を求めるというもの。その実用範囲は、例えば陸路や空路など輸送面での経路計算など、実社会での応用範囲が実に幅広い。

そこで、東工大は2018年7月1日、西森教授をリーダーとする「量子コンピューティング研究ユニット」を設置。今後、基礎理論の構築から応用まで幅広く扱い、量子アニーリング研究を推進していく。

学技術創成研究院 西森教授、益学長、東北大:大野総長、大学院情報科学研究科 大関准教授
(左から)東工大:科学技術創成研究院 西森教授、益学長、東北大:大野総長、大学院情報科学研究科 大関准教授

加えて、2018年7月18日には、同研究ユニットと東北大学学際研究重点拠点「Q+HPCデータ駆動型科学技術創成拠点」が連携し、研究拠点を形成することを発表した。今後は、企業も含めた産学連携による「量子アニーリング研究開発コンソーシアム」を組織する。また、同拠点では、東工大の研究ユニットで行われる量子アニーリングに関する基礎研究と、東北大の創成拠点で行われるソフトウェア開発など応用研究を相互補完的に進めていくことで、世界における量子アニーリング研究の中心拠点にしていく計画だ。

固体量子センサとQSTとの産学協創ラボ

工学院 波多野睦子教授

波多野教授

量子科学技術において、量子センサは量子コンピューティングと並び、世界的に活発に研究開発が進められている分野だ。中でも「固体量子センサ」は、世界的な競争が激しい。このような中、波多野睦子教授、岩崎孝之准教授が開発した固体量子センサが注目を浴びている。

これは、ダイヤモンドを構成する炭素の中の1個を窒素に置き換えた構造をしたセンサだ。炭素の抜けた空孔(V)と窒素(N)がペアを組み、「NVセンタ」を形成することで、空孔に閉じ込められた電子スピンが量子状態になり、磁気的な性質を示す。この性質を利用することで、超微小で、高い感度と空間分解能を併せ持つ磁気センサや電界センサを実現できる。病院で使うMRIの小型化や、IoTデバイスによる環境モニタリングなどが期待されている。

このような実績を受け、2018年7月12日、東工大は、量子科学技術研究開発機構(QST)との包括協定を締結した。QSTは放射線医学や量子ビーム科学などの分野で、最先端研究と実用化を推進している国立研究開発法人だ。今回の連携協定を機に、同年8月1日には、大岡山キャンパスに「QST量子機能材料産学協創目黒ラボ」を開設した。東工大とQSTから、波多野教授を含め計30名の研究者が集結し、研究を加速させる。「量子生命科学」など新学術領域を確立するほか、固体量子センサの医療への応用や自動車、IoTなど社会インフラへ実装を目指す。なお、波多野教授は、今年度よりはじまった文部科学省の「光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)」Flagshipプロジェクトの研究代表者でもある。

(左から)東工大:工学院 波多野教授、岩附工学院長、益学長、QST:平野理事長、島田理事、伊藤所長
(左から)東工大:工学院 波多野教授、岩附工学院長、益学長、QST:平野理事長、島田理事、伊藤所長

超高感度磁気センサを目指すQSTとのコラボ例
超高感度磁気センサを目指すQSTとのコラボ例

自己位置推定機器の性能を飛躍的に向上させる量子慣性センサ

理学院 上妻幹旺教授

上妻幹旺教授

2017年11月より、JST未来社会創造事業大規模プロジェクト型が始動した。上妻教授は「自己位置推定機器の革新的な高精度化及び小型化につながる量子慣性センサ技術」というテーマを推進している。

加速度を測定する加速度計、角速度を測定するジャイロスコープ、これらは慣性センサと呼ばれている。加速度計の出力を時間について2回積分(変化分を累積)すれば移動距離が、ジャイロスコープの出力を時間について1回積分すれば角度変化が算出される。従って、加速度計とジャイロスコープとを組み合わせて利用することで、外部からの信号に一切頼ることなく自分が居る場所を推定することが可能となり、これを自己位置推定と呼ぶ。

現在日本では、センチメートルレベルの測位を可能とする準天頂衛星みちびきの運用が進められており、自動運転車、ロードプライシング、IT農業の高度化、測量・施工作業の効率化、災危通報、安否確認、自動除雪、海洋資源探索など、様々な新規産業の創出が期待されている。中でも自動運転車の実現や海洋資源探索の効率化は、その応用の重要な位置を占めている。しかし衛星が発する電波は高層ビルや高架橋等によって劣化し、また海中では減衰が激しく利用できないという問題をもっている。みちびきに期待される様々な応用を現実のものにするためには、慣性センサを利用した自己位置推定装置によって衛星測位をサポートすることが必須となる。このことは、旅客機がGPSと自己位置推定装置を併用することで安全な航行を実現していることからも容易に推察できる。

慣性センサを利用した自己位置推定装置の精度を律則しているのは、ジャイロスコープである。現時点で最高性能を有するジャイロスコープは、リングレーザージャイロスコープ(RLG)という光の干渉を利用したものだが、このRLGでも上記した様々な応用を実現するうえで十分な性能をもっているとは言い難い。上妻研究室では光の波ではなく、レーザーで冷却された原子がもつ量子的な波、すなわちド・ブロイ波を利用した干渉計を構築することで、従来に比べ飛躍的に高い性能を有するジャイロスコープを実現しようとしている。

ド・ブロイ波※ の干渉を利用したジャイロスコープの概念図。原子のド・ブロイ波を、レーザーを使って分岐、屈曲、合波することで干渉計を構築する。系が静止しているとき、原子は図のように右方向に出射する。系に回転が加わると、ド・ブロイ波の干渉の仕方が変化し、原子が出射する方向が変化する。この変化を検出することで高性能のジャイロスコープを実現できる。
ド・ブロイ波 の干渉を利用したジャイロスコープの概念図。原子のド・ブロイ波を、レーザーを使って分岐、屈曲、合波することで干渉計を構築する。系が静止しているとき、原子は図のように右方向に出射する。系に回転が加わると、ド・ブロイ波の干渉の仕方が変化し、原子が出射する方向が変化する。この変化を検出することで高性能のジャイロスコープを実現できる。

林芳正文部科学大臣からの質問に答える上妻教授
林芳正文部科学大臣(当時)からの質問に答える上妻教授

ド・ブロイ波:物質波ともいう。ミクロの世界の法則である量子力学にもとづくと、質量 m、速さ v をもつ粒子は h/mv に相当する波長をもつ波としてふるまう。ここで h はプランク定数である。

「光誘起相転移」で革新的デバイスを実現

理学院 腰原伸也教授

腰原伸也教授

光によって物質の状態を一瞬で変えてしまう「光誘起相転移」。この現象を利用することで、電子デバイスに替わる超高速かつ低エネルギーな光デバイスが実現するとして、世界中が注目している。

※1 ニュートン力学

英国の科学者アイザック・ニュートンが、運動の法則を基礎として構築した、力学の体系のことである。古典力学とも呼ばれ、量子の世界で適用される量子力学と対比される。

※2 粒と波の二重性

原子や分子などの小さな世界では,物質は粒と波の両方の性質を同時に持つ。物質の状態を測定すると特定の性質を持った粒として見えてくるが,測定するまでは,色々な可能性のうちどの状態あるか(例えば電子がどこにあるか)の確率が波の性質を持って存在している。

※3 量子重ね合わせ

物質の量子力学的な状態を表す波は確率の波である。実際に測定するまでは,いくつかの異なる状態のうちのどの状態にあるか(例えば電子がある面より右にあるか左にあるか)が確率としてしか分からない。異なる状態が量子力学的に重ね合わされて同時に存在しているという言い方をする。

※4 量子もつれ

量子力学的な性質が顕著に現れる小さな世界で物質の状態を測定すると,確率の波で表される様々な可能性の中からひとつだけが実際に現れてくる。ある場所での状態を測定して性質が確定すると,そこからはるか遠く離れた場所での性質も瞬時に確定してしまう。離れた場所の状態が強く絡み合っているように見えるこの現象を量子もつれという。

※5 IoT(Internet of Things)

モノのインターネット。様々な「モノ(物)」がインターネットに接続され、情報交換することにより相互に制御する仕組み。

※6 超スマート社会(Society 5.0)

サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)が通信ネットワークを介して高度に融合されたシステムに、量子コンピュータと人工知能(AI)から成る頭脳を投入することで実現される、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)。

※7 SDGs(持続可能な開発目標)

2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として、2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ 」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され、地球上の誰一人として取り残さないことを誓う。発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる。

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2018年10月掲載