研究

健康とは何か~「運動」と「栄養」を独自の視点で研究~ ― 林直亨

顔 東工大の研究者たち vol.33

健康とは何か~「運動」と「栄養」を独自の視点で研究~ ― 林直亨

vol. 33

リベラルアーツ研究教育院 教授

林直亨(Naoyuki Hayashi)

いつまでも健康な生活を送りたい。誰もが願い、そのため、世間は健康に関する情報で溢れている。
健康とは何か、という疑問に「運動と眼の血流」、「咀嚼と栄養」という2つの観点で研究に取り組むのが、林直亨だ。

健康は一人ひとりの価値観そのもの

林直亨教授

「世界保健機関(WHO)は、『健康とは、完全に、身体、精神、及び社会的によい(安寧な)状態であることを意味し、単に病気ではないとか、虚弱でないということではない』と定義しています。しかし、日本には江戸時代後期に蘭学者の緒方洪庵が唱えるまで、『健康』という言葉はありませんでした。その時代に運動が健康に良いというような考えは一般的ではなく、明治時代になって福沢諭吉が運動は健康に役立つと言い始めて広まったわけです。そして現代では、何が健康に良いかという健康観は各自の価値観に強く依存しています。ですから、さまざまな健康法の中から、自分に合った健康法を理解し、自由に選択できる環境が整っていることが大切なのではないかと考えています。そのための環境づくりを、科学的な見地に基づき進めることが私の役割です」。こう語るのは、リベラルアーツ研究教育院の林直亨だ。

健康に関わる要因は運動、栄養、休息の大きく3つに分けられる。その中で、林自身がスポーツ選手であったこともあり、運動と栄養という2つの面で、独自の観点から健康について探っている。

眼の血流の変化に驚く

まず、1つ目の運動についてだが、運動することで内臓以外の身体全体の血流がよくなり、それにより、さまざまな循環器系が改善することが知られている。中でも林が着目しているのが、眼の血流だ。

「眼は非常に重要な感覚器官で、視力が低下すると、QOL(生活の質)が大幅に下がってしまいます。視力が低下する疾患に、加齢性黄斑変性や網膜症がありますが、この原因のほとんどが、眼底の血液循環が悪くなることです。そこで、約5年前から、眼底の血流と運動との関係について研究しています」。

運動により、眼底の血流がどのように変化するかを測定するため、林が取り入れたのが、「レーザースペックル法」だ。これは、レーザー光を皮膚などに照射し、血管内の赤血球によって生じる光の強度分布(スペックルパターン)の時間的な変化を検出することで、相対的な血流量を、非接触で測定できるというものだ。

「1回の運動に伴って、眼底の血流が増えることが分かりました。しかも、網膜に光が入ってくる表側の血流は増えず、光が入ってこない裏側の面の血流のみが増えたのです。これは、光が入ってくる表側の面の血流が増えてしまうと、それによって光の到達が阻害されるからだと推測されます。血流は必要なときに、必要な場所で、必要な量だけ増えることが重要です。その点で、眼の血流は非常に緻密に制御されていることがわかる実験結果でした。眼の機能の精緻さには、ただただ驚かされるばかりでした」と林は振り返る。

また、激しい運動をしていると、目の前が白くなる場合がある。これは、激しい運動時には脳や眼への血流が減ることが要因であると考えられる。今後は、病院の医師と共同で、運動習慣が眼底血流に与える影響について探っていく計画だ。

おいしいと感じると瞼(まぶた)の血流が増加

コンソメスープをおいしいと評価した被験者の顔面の皮膚血流変化。赤は血流が高く、青は血流が低いことを示す。スープ投与後には瞼の血流が増加していることがわかる。(出典:Palatability of tastes is associated with facial circulatory responses, Chemical Senses)
コンソメスープをおいしいと評価した被験者の顔面の皮膚血流変化。赤は血流が高く、青は血流が低いことを示す。スープ投与後には瞼の血流が増加していることがわかる。(出典:Palatability of tastes is associated with facial circulatory responses, Chemical Senses

次に、2つ目の栄養についてだが、健康な食生活を続けるには、おいしいと感じながら味わって食べることが重要だ。おいしいと感じることで、人は幸福を感じ、顔の表情が変化する。とはいえ、表情を定量化することはむずかしい。そこで林は、こちらについても、レーザースペックル法を使って顔の血流の測定を試みた。 「人がおいしいと感じたときと、まずいと感じたときのそれぞれで、顔の血流がどのように変化するかを測定しました。被験者15名による実験の結果、おいしいと感じると瞼の血流が増え、まずいと感じると鼻の血流が減ることが判明しました」。

まず、まずいと感じると鼻の血流が減ることは、既存の動物実験から推測がつくという。動物の場合、争いによって鼻をかまれ、出血する可能性が高い。不快な状況や危険な状況に置かれると、鼻の血流が減るという合目的な反応が知られている。したがって、人もまずいものを食べ、不快と感じたことで、鼻の血流が減ったと考えられるのだ。

一方、おいしいと感じると瞼の血流が増えるというのは初めての発見であった。

「瞼の血流の変化は外見ではわからないため、他へのコミュニケーション手段として機能しているとは考えづらいでしょう。顔以外の部位では、交感神経が血流を制御しているのに対し、顔では、副交感神経も血流を制御していると考えられています。しかし、なぜ、おいしいと感じると血流が増えるのかという理由はよくわかっていません。とはいえ、この発見により、今後、臨床や介護の場面において、意志疎通が困難な方が、食べ物の味をどのように感じているかを血流で判断できるようになるため、それぞれの嗜好に合った食事を提供するといった応用が考えられると思います」と林。

よく噛んで食べることで食後のエネルギー消費量が増加

加えて、おいしいと感じるものをよく噛んで少量食べることも、健康の維持・増進には非常に重要だと林は力説する。2014年に林が実施した12名の被験者に対する実験では、急いで食べるよりも、よく噛んでゆっくり食べる方が、食後のエネルギー消費量(DIT;食事誘発性体熱産生量)が増加することが判明した。

体重当たりのDITの変化(安静値との差で示した)を時間毎に示した。●が急いで食べた試行を、○がゆっくり食べた試行を示す。食後5分後には、両試行の間に差が見られ、食後90分まで続いた。♯:試行間の有意差 *:摂食前の安静時エネルギー消費量との間の有意差(出典:The number of chews and meal duration affect diet-induced thermogenesis and splanchnic circulation, Obesity)

体重当たりのDITの変化(安静値との差で示した)を時間毎に示した。●が急いで食べた試行を、○がゆっくり食べた試行を示す。食後5分後には、両試行の間に差が見られ、食後90分まで続いた。
♯:試行間の有意差 *:摂食前の安静時エネルギー消費量との間の有意差(出典:The number of chews and meal duration affect diet-induced thermogenesis and splanchnic circulation, Obesity

早食いが過食をもたらし、それが原因で体重が増加することは以前から示唆されていた。林も大学生84名を対象にした研究で、食べる速さと体型との関係について明らかにしている。さらに、林は、この実験結果から、よく噛んでゆっくり食べることで消化・吸収活動が増加し、DITが高まったのではないかと推測。

そこでさらに、2016年には食後に15分間ガムを噛む実験も行った。その結果、ガムの咀嚼後40分間にわたってエネルギー消費量が増えることも確認した。

「これまで、咀嚼終了後には、エネルギー消費量はすぐに元に戻ると考えられていました。しかし、この実験により、食後のガムの咀嚼がDITを食後40分程度にわたって増加させることが明らかになったのです」と林。DITを増やす要因が、咀嚼にあることがわかったのだ。

早く食べた際(左)とよく噛んで食べた際の食後3時間の体重1kg当たりの食事誘発性体熱産生の個人値、平均値および標準誤差を示した。食べる速さは有意に食事誘発性体熱産生に影響した。ガム咀嚼(赤丸)もガム咀嚼なし(青丸)に比べて有意に高い値を示したものの、食べる速さの影響には匹敵するものではなかった。(出典:Effect of postprandial gum chewing on diet-induced thermogenesis, Obesity)

早く食べた際(左)とよく噛んで食べた際の食後3時間の体重1kg当たりの食事誘発性体熱産生の個人値、平均値および標準誤差を示した。食べる速さは有意に食事誘発性体熱産生に影響した。ガム咀嚼(赤丸)もガム咀嚼なし(青丸)に比べて有意に高い値を示したものの、食べる速さの影響には匹敵するものではなかった。(出典:Effect of postprandial gum chewing on diet-induced thermogenesis, Obesity

とはいえ、現在のところ、その理由はよくわかっていない。「咀嚼することで脳が何らかの刺激を受け、それにより、褐色脂肪細胞がより多く消費されているのではないかと考えられます。そのため、今後も研究を続けていく計画です」と林は語る。

また、以前は、食べ物が胃や腸に届いて初めて、胃や腸の血流が増えると考えられていたが、林の2008年の研究により、食べ物を口に入れ、咀嚼を始めた時点から、すでに胃や腸の血流が増え始めていることも確認された。加えて、味のついていないものを噛むのに比べて、味のついているものを噛む方が、血流が増えることも明らかとなった。

「以上の実験結果から、ゆっくりとよく噛んで、おいしく食べる習慣を身につけることが、肥満の防止や減量に役立つことがわかると思います」と林。

顔の血流の変化は謎だらけ

林直亨教授

林が、健康に関する研究を始めたきっかけは、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科への進学だった。「私は小学生の頃から理科と水泳が得意でしたので、この学科を専攻しました。運動選手は一般の人に比べて、心拍数が上がりにくいことが知られていたことから、学生時代はそのメカニズムの研究をしました」。

その後、レーザースペックル法を使った顔の血流や内臓の血流の変化に関する研究を本格的に始めたことが、現在の研究につながっている。

「顔の血流の変化は多くの謎に包まれていて、研究すればするほど好奇心がかき立てられます」と語る林。 しかしながら、現在のところ、同様の研究を行っている研究者は林以外にいない。今後は、この謎の解明に注力すると同時に、健康の維持・増進に役立つ要因を追求していく予定だ。

「運動がいくら健康に良いとはいえ、苦手な人も少なくありません。たとえば、私は歌舞伎が好きで、ときどき観に行くのですが、調査してみたところ、歌舞伎役者、茶道家、落語家、長唄の歌手は、総じて長寿であることがわかりました。しかし、歌舞伎役者の運動量は別格としても、これらの職業の方々が皆、普段から運動をして身体を鍛えているという話はあまり聞きません。つまり、健康を維持する要因は、運動、栄養、休息以外にもあるはずです。今後は、そういった新たな要因についても探っていきたいと思っています」と林は意気込む。

最後に、林は、高校生や大学生、若手研究者にメッセージを贈ってくれた。「好きこそものの上手なれで、好きなことを追求し伸ばしていくことは大切です。しかし、研究者を志すのであれば、できる限り苦手科目を作らないことが重要でしょう。苦手科目があると研究の幅を広げることが難しくなります。世の中の動きは早いですから、同じような研究が他で行われてしまっていたとしても、視野を変えて、あるいは広げて、へこたれず新たな研究に取り組む研究者を目指してほしいと願っています」

林直亨教授

林直亨(Naoyuki Hayashi)

リベラルアーツ研究教育院 教授

  • 1988年都立小石川高等学校 卒業
  • 1992年早稲田大学 人間科学部 卒業
  • 1994年早稲田大学 大学院人間科学研究科 修士課程 修了
  • 1995年早稲田大学 大学院人間科学研究科 博士課程 中退
  • 1995 - 2004年大阪大学 健康体育部 助手
  • 1999年博士(医学:大阪大学)
  • 1999 - 2000年カリフォルニア大学デービス校 客員研究員(文部省在外研究員)
  • 2004 - 2013年九州大学 健康科学センター 助教授・准教授
  • 2013年 -東京工業大学 大学院社会理工学研究科 教授
  • 2016年 -東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授

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2018年9月掲載